「ウォーキング・デッド」に見る生きた人間の狂気と驚異

アメリカのゾンビドラマ「ウォーキング・デッド」のシーズン7も中休みを挟み、いよいよ2月から後半戦が放映されます。僕が視聴しているhuluでは2月13日(月)21時から初回配信が始まりますが、衝撃的で重苦しい前半戦の展開からリック達がどう苦難に立ち向かうのか注目です。

ゾンビドラマの驚異は当然〝ゾンビ〟ですが、実は生きた人間もゾンビ以上の驚異となるとう話も多く、生き延びた人間同士のサバイバルもゾンビドラマの見どころのひとつです。

法も秩序も無くなった世界の中で、ゾンビという自然災害的な驚異と、凶暴な人間という人的災害からもサバイブしなければならないことは、ゾンビ物の“裏テーマ”でもあります。

今回は、ドラマ「ウォーキング・デッド」に見る生きた人間の狂気と驚異について書きます。

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ゾンビ発生直後期

ウォキング・デッドはゾンビが街に蔓延するところからドラマが始まります。最初の混乱を生き延びた人たちは、ゾンビの多い都市部から逃れ彷徨い歩きます。

この段階ではあくまでゾンビが大きな障害なので、警察や軍による事態の収束を待ちながら人々は家族単位で助け合います。やがて、家族単位で行動していた人たちが集まってコミュニティを形成します。その方がお年寄りや子供などを守りやすいためです。

事態の長期化と共にコミュニティにはいざこざやトラブルが出始めます。これは現実にも災害での避難所生活などで人々が直面する問題ですが、色々な考えや価値観を持つ人間が共同生活を送れば必ず起こるものです。

そこで必要になるのがリーダーです。リーダーは様々な意見を持つ人たちをまとめ方針を打ち出し人々をまとめ、どうするかを決定することが求められます。しかし、究極のサバイバル状態の中で的確なリーダーシップを発揮できるような人間は現代社会の中でそうはいないので、必ず反発や軋轢が生じます。不満が爆発すれば、最悪の場合にはコミュニティの崩壊に繋がります。

ウォーキング・デッドでは、シーズン1から2がこの状況にあたり、生存のために家族単位で協力し合いながらも、メルルやシェーンといったトラブルメーカーの存在によるコミュニティの維持の難しさが描かれています。

無政府状態初期

ゾンビアポカリプスより数ヶ月、この頃になると軍や警察などによる治安回復は絶望的になり、法が適用されない無政府状態となります。生き残った人たちは自分の身は自分で守らなければならないことを自覚し始めます。

人々は武器を所持しゾンビの驚異に対処する方法を学びます。ゾンビはそこらじゅうに溢れかえるようになるので、コミュニティとして闇雲に逃げ続けることはリスクが大きくなります。まだ街には食料があるので、取り敢えず備蓄が底をつくまで拠点を確保し身を守ることに徹することになります。

現実においても法律によって人を殺すことは禁じられていますが、殺人は毎日のように起こっています。では人を殺しても法で裁かれない世界であればどうなるのか想像するだけでも恐ろしいことです。このあたりから生存者はゾンビだけでなく略奪を目的としたバンデットにも命を脅かされるようになります。

 

無政府状態中・後期

街に出ても手に入る食料は保存状態の良い缶詰程度しかなくなってくるので、ゾンビ以前に飢餓が深刻な驚異となります。こうなるとひとつの場所に留まることは出来なくなり、リスクを承知で食料や水を求めて移動をしなければなりません。

過酷な環境では優秀なリーダーのいるコミュニティは生存率は高まるので、次第に勢力を拡大していきます。彷徨う人々は優秀なリーダーのいるコミュニティに吸収されながら集団を形成していきます。やがてコミュニティは食糧の確保が難しくなり、自給自足へとシフトせざるを得なくなります。

コミュニティは身を守るための砦を構えながら協力し合い家畜を飼い農作物を作り、安全な安住の地を構築しようとします。しかし、安定すればするほどバンデットや他のコミュニティなどの略奪者に狙われるようになります。ゾンビはある程度の壁で防ぐことはできますが、武器を持った人間はかなりの脅威となります。

ウォーキング・デッドのシーズン3・4あたりではリックのコミュニティが刑務所に落ち着き自給自足生活を始め、そこが安住の地となるかと思われた矢先にガバナー一派による襲撃を受けるというエピソードがあります。武器を持ったコミュニティ同士の戦いは相手を根絶やしにするまで続くものであり、ちょっとした戦争の様相を呈します。

混沌期

ゾンビ発生から数年後、コミュニティは度重なる抗争により消滅、吸収を繰り返し様々な形態を取るようになります。温厚に自給自足をしているところもあれば物資強奪をメインにするところ、人肉を食料とするために人々を捉えているところなど、もはやゾンビとは関係のない混沌とした様相となります。

ウォーキング・デッドではシーズン5・6あたりで描かれるエピソードでは、生存者たちはゾンビをものもとしない逞しいサバイバル能力を身につけつつも、混沌とした人間関係の中で誰を信じ行動を共にするのか、生きるために何をすべきでどんな犠牲を払うのかという難しい問いに翻弄されます。

この頃になると、厳しい世界の中で何のために生きているのかが分からなくなり生きているよりも死んだ方が楽なのではないかと悩む姿が頻繁に描写されるようになります。物語が進むにつれて死者と生者の世界が曖昧になるというのもゾンビドラマの特徴で、観ている側にも辛い思いをしてまで生きることに何故拘るのかということを考えさせます。

ヒャッハー期

現在ウォーキング・デッドのシーズン7はちょうど半分のところを放映中ですが、混沌としたコミュニティを力と恐怖で支配する存在として、ニーガン率いる「救世主」というコミュニティが登場します。革ジャンを身に纏い武器を手にしてバイクに跨り恐怖を振りまく彼らを見ているとまるで北斗の拳のジードを彷彿とさせます。

彼らは強大な組織力と武器で近辺のコミュニティを支配します。根こそぎ強奪するのではなく物資の半分だけを奪います。そして次に来るときまでに同じだけの物資を準備しておくように命じ、準備できなかったり反抗すれば見せしめとしてコミュニティの数人を血祭りにあげ恐怖による支配をします。

生かさず殺さずにすることで永続的に自分たちの物資が得られるという非常に狡猾なやり方ですが、協力的な者には好待遇を与えるなどかつての植民地時代に先進諸国が採った手法を彷彿とさせます。こうすることで混沌とした生存者のコミュニティは支配統合され新たな国の形ができるのかもしれません。まさに「救世主」と名乗るだけのものはありますが、強大な力と恐怖による支配に対してリック一派がどのように戦うのかこれから描かれる展開が楽しみです。

まとめ

ゾンビネタはどうしても長文になってしまいますが、今回はゾンビを離れて生者について書いてみました。ゾンビ物には必ずと言っていいほど生存者達のドラマが盛り込まれます。ゾンビのと生者の脅威を対比させながら本当に恐ろしいのはどちらなのかを考えさせるような構造になっています。この複雑なドラマ構成こそが、ゾンビ物を単純なホラーたらしめていない一因ではないかと僕は思っています。

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